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尾道の海

帆布織機

部分

尾道の海と私

●制作10-尾道の海
 帆布工場の織り機の音、日暮れの銀色に輝く海、立ち並ぶ瓦屋根、そこに暮す若者たちの声。今でも目を閉じると思い出します。みなさんは、尾道というところを私があえて説明しなくても、十分ご存知だと思います。しかしながら今となっては、ちょっとした尾道通の私を誰か誉めて欲しい。
 正直言って、これまでに尾道というところには、行ったことがなかった。もちろん噂は聞いていますよ。だから、尾道帆布展から参加依頼があった時に、即決した理由は芸術がとか、制作がとかではなかった気がする。ただ単にあの町に行ってみたかったからだと思う。  よく家族から「放蕩娘」って言われます。余計なお世話です。これでも真面目に生きています。と言いつつ近所の本屋で買った「尾道ガイドブック」を、しっかり旅行用バックに詰め込んで、ソワソワする気持ちを家族に悟られないように、毎日ポーカーフェイスで過ごしていたのを思い出します。
 私が思うに旅というのは、自宅から出発した時からでも目的地に着いた時から始まるものでもなくて、旅に行こうと決めた時から始まる気がするのです。ワクワクするじゃないですか。新幹線に乗って、富士山を撮って、とりあえず目的地に着いたら、尾道ラーメンを食べてそれから海岸沿いを歩いて、お寺をまわって・・・。いやいや、焦ってはいけない、旅は長い・・・。とかなんとか、まだ行ってもいないのに心はもう瀬戸内海なのです。間違えてはいけません。旅行ではないのです。制作をしに行くのです。
 しかしながら、言い訳のように聞こえるかもしれませんが、尾道スタイルを楽しむことが私の制作スタイルなのです。どこででもできる制作あったら、わざわざ尾道に行く必要はないと思うのです。自分の住み慣れた場所で、紅茶でも飲みながら坦々と制作すればいいのです。あえてこの場所に一ヶ月間、御呼ばれしたのには理由があるのだと私は勘ぐったのです。そうです。尾道でしか制作できない何かを見つける為なのです。
 私の制作場は日常の生活空間そのものなのです。特別なアトリエは必要ないのです。制作とは場所がないからできないとか、材料が手に入らないからダメだとかじゃなくって、今の自分が置かれている環境の中で、自然と生まれてくるまで待っていればいいものなのだと思います。何故かと言うと、日常の空間こそが自分が一番理解していることで、そして、一番表現できる場なのだと思うからです。例えば、社会悪を追求するような難しいテーマの作品を、私が制作してもイマイチなのです。どうしてかって?それは、きっと私が無知だからなのです。知りもしない事を、知ったかぶって制作しても誰も感動しないのです。制作をするには「知識」が必要なのです。  それなら、物造りに「知識」って本当に重要なのでしょうか?沢山勉強して、有名大学に入って「知識」を詰め込まなければ、芸術家にはなれないのでしょうか?
 私の言う「知識」とは、表面的な知識とは違います。例えば、尾道の表面的な知識を得ようとすれば、観光ガイドの本を1~2冊買って、新幹線のぞみに乗っている間に読めば、尾道につく頃にはなかなかの尾道通を気取れると思います。でもそうじゃないのです。「知識」というのは、その土地へ行って人々と出会って、物事に触れて感じて、その空間に溶け込むことなのです。尾道の商店街にある紙屋の看板娘は、トラ猫のモモちゃんであるとか、駅裏のラーメン屋のおっさんは、熱狂的なカープファンだって事は、おそらくどの情報誌や観光ガイドにも載っていないと思います。本当の「知識」というものは、教科書にも何処の本にも書いていないのです。例えば、本に載っていることを例に挙げてみます。瀬戸内海の海は穏やかな海だとよく言われます。確か小中学校の地理でそう教えられたと思います。でも、初めて本物の海を見たとき、自分が想像した以上に平らで穏やかな海で驚きました。だって、波一つないのですよ。言葉や文字じゃなかなかこの感動って伝わらないのです。それに、尾道の海って平らなだけじゃないのです。潮の満ち引きが激しくって、大河のように見えるときがあるのです。静かながら絶えず流動的なのです。なぜかここに住む人たちも、この海のように穏やかで、そして、よそ者でも気持ちよく受け入れてくれる寛大さがあるのです。この街で争い事など有り得ないかのようです。しかし、実は静かながらも情熱的なのです。まさしく尾道の海そのものなのです。私はそんな海を造ろうと思いました。恐ろしく平らでそして静かに鼓動している情熱的な海を造ろうと思ったのです。この一ヶ月間の感動は、言葉や文字じゃ表現できないと思います。だから、ここでの生活、経験、思い出、人々全部巻き込む大きな渦を造ろうと思いました。舞台は尾道です。
 私にとって、一ヶ月という限られた期間で、そして自分の生活空間以外で制作するのは初めてに等しかった。でも、その不安は徐々に薄れていった。日に日に尾道に対する「知識」は増えて行ったし、知り合いもできた。帆布実行委員会の皆さんや入れ替わり立ち代り手伝ってくれた尾道大学の学生さんのお陰で制作も楽しかった。独りでこの街に来たのにもかかわらず、何故か孤独感というものがまったく無かった。制作しなくてはという脅迫感もなかった。変な言い方だけど、一種の自然現象みたいに、ここで生活して何もしないうちに自然に制作が進んで行ったような気がする。一日一日、少しずつではあるが、その渦は大きくなっていった。自分のこの街で暮らす生活と共に育っていった渦なのです。
 話は変わりますが、この街ゆかりの文化人って何故か多い気がするのです。林芙美子、志賀直哉、大林監督、梅原龍三郎・・・。言い始めたらきりがない。偶然なのか?試しに尾道で私の住む茨城県のことを聞いてみようと思った。「茨城の著名人を誰か知っている?」って学生に聞いてみました。そうしたら、唯一ひとりが「あ〜、え〜っと。水戸黄門」って答えたのです。そんなものなのです。
   紙屋さんからスケッチブックをいただいたので、せっかくだから時間を見つけて、尾道風景をスケッチしようかなと思った。坂道を登って、天寧寺の裏から三重塔と海を臨む私お気に入りのビューポイントから描いていたら、通りすがりのおっさんが私のスケッチを見て、「俺に一枚描いてくれ」って言うのです。見ず知らずの私が描いた絵が欲しいって言うのですよ。嬉しいじゃないですか。家族にも言われたことがないのですよ。飼い猫の玉三郎なんて、私の名作で爪とぎなんてする次第です。無礼者ですよね。そんな環境で暮らしているので、おっさんの一言が本当に驚きというか感動的だったので、即、今描いたスケッチをプレゼントしちゃったのです。そうしたら、おっさんはスケッチを大切そうに手に持ち、坂を下っていったのです。その時、私って本当に単純だなって思ったのです。誉められるとすぐ芸術家気分になっちゃうのです。
 この街に文化人が多いのは偶然ではないと思うのです。街全体が人を育ててくれるような気がするのです。それが地元の人であろうとなかろうと、別け隔てなく受け入れてくれる街なのです。あのおっさんが私の絵を認めてくれたように、そこに垣根や壁を造らずに接してくれる街だから、文化が根付いたのだと思います。そう考えてみると、今回の作品もその恩恵に与っているのです。私だけの力では到底造れなかったのです。この街の、この海に私自身がどっぷりつかり、泳ぎ続けて疲れたら、誰かが手を差し伸ばしてくれて、そしてまた泳いで、のんびりと浮かぶ日々も、何度描いても前に進まない日々も、全部を取り巻く大河のように、この一ヶ月が過ぎていったような気がする。  「今回もいい出来かも?」帰りの東海道線でまた自画自賛してしまった。振り返ってみると、いつもの夏より暑かった気がする。




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