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ワークショップ『風』

風車

風車

ワークショップ風景

●制作9-「風」
 時間の集積とは制作時間の集積だけじゃないと思います。記憶の集積というのもあります。めいめい持ち寄った思い出の印刷物で風車(かざぐるま)を作ってみました。今回の作品は、ちょっぴりノスタルジックなワークショップです。
簡単に話すと、用は小学校に風車(かざぐるま)をやたらめったら設置しよう計画なのです。ずーと前に草案した計画なのですが、中々許可していただける小学校がなくって・・・。もう諦めていたのですが、幸運って突然やってくるものです。茨城県の牛久市がOKしてくれたのです。「風」の便りで私の計画を知ったのだと言っていました。
 昔と同じ風が、今日も廊下を通り抜けて行きます。小学校のノスタルジックな雰囲気は、風と共に自分たちの中に入っていく気がします。本当に「風」に乗ってくる便りなんて存在しません。当たり前ですけどね。牛久市女化(おなばけ)小学校跡地に足を踏み入れた時、廊下を通り抜ける「風」に触れてみると、何かを思い出すような懐かしい思いに包まれ、暫し、ノスタルジーに浸ってみました。「風」という物質を、風車(かざぐるま)という体積に置き換えた時、視覚的物質感と回想的物質感が融合するのではないかなぁって思います。

決行日:2003年11月18日

 古新聞って意外と重宝する時があるのですよ。例えば、私はよく梱包用紙に使ったりするのですが、思いの他、丈夫で且つ虫食いを防げて便利です。でも、包んで戸棚の奥に仕舞い込んで、いつの間にかそれを忘れてしまって、大掃除の際に見つけると、5〜6年前の古新聞なのに、やけに読みふけってノスタルジーに浸ってしまうのです。困ったことに一向に掃除がはかどらないのです。たかだか古新聞ですが、それらは私達を忘れていた過去の記憶え引き戻してくれるのです。
 この何気ない過去の時間の集積を、ワークショップを通して表現してみようと思ったのです。テーマは「風」です。「風」は、空気の流れですから視覚的には見えませんが、感じることは出来ます。「風を掴む」や「風の便り」のように、どこか曖昧な表現のときに「風」という言葉は使われます。
 しかし、「風」は目に見えなくともその存在を大いに主張しています。揺れる草花や落ち葉、路傍に舞う砂埃も「風」の仕業です。そういう視点で風を観察すると、今、目に見えている物や、それを取り巻く空間、頬に感じる冷たさや運ばれて来る匂いまで、「風」によって表現されているインスタレーションのように思えてきます。「風」は、決して目には見えない曖昧なものだけれども、誰もが感じ取れるものです。だからこそ、そんな「風」を視覚的且つ空間的に表現してみようと思ったのです。要するに、「風」を読み取るセンサーとして、「風車(かざぐるま)」を造ろうと思った次第なのです。
 「風車(かざぐるま)」の素材は、新聞紙や雑誌等の印刷物を使おうと思いました。それらは、刻々と変化していく時代の背景と共に、その時々を克明に写し著している物だからです。同じ情報伝達の仕方でも、「風の便り」とは対照的に、明確に且つ合理的に情報を伝達する手段なのです。 「風車(かざぐるま)」が風を読み取るセンサーだとしたら、新聞や雑誌等はその時代を読み取るセンサーという設定なのです。  次に、テーマが決まれば、それを表現する場所です。「風」は目に見えないが、肌で感じ取ることが出来る。芸術において、「風」という捉えられない物質を表現するには、視覚的要素だけでは限界があります。空間表現も必要なのです。インスタレーションという形式をとった理由はその点にあります。表現媒体を「風車(かざぐるま)」とした時、そのノスタルジックな形態から小学校跡地(女化(おなばけ)青年研修所)を選んだのです。
 「時間」「空間」「素材」の集合体こそが、私の制作で私自身なのです。同じ人間でも、その経験した時間や空間が違えば同じにはなりえません。ワークショップに参加していただいた方々には、自宅にあった新聞紙や雑誌を持ち寄っていただきました。おそらく、人が違えば持ち寄る物も様々で、思い出も色々です。
 そんな思い出を使って「風車(かざぐるま)」を造るのです。そして、それを繋げて風車(かざぐるま)の壁を造り、吹き付ける風に激しく回ったり、時にはゆっくり感慨深げに回ったりする「風車」を観察するのです。どうですか?いつの間にかそこには、過去の思いに耽る自分が存在し、インスタレーションの一部になっているのです。




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